70歳始動 最初の山行は谷川岳

遊佐研治郎


9月28日70歳を迎えた。これより少し前に元勤務していたP社の友人から9月末から10月初めの日程で谷川岳山行の誘い受けたとき参加することを躊躇した。私の谷川岳の印象は岩登り登山のメッカであるとともにこれまでに約千人を数える遭難者をだしている怖い山というものだった。もちろん今回の山行が岩登りをするものではなく通常の山歩きを楽しむものだということがわかっていても、何となく敬遠したいというのが正直な気持ちだった。それと群馬県高崎市までの往復に夜行バスを利用するということになっていて、多分ほとんど眠れずに睡眠不足での山歩きが私にできるのかという不安があったことも事実であった。しかし、怖いもの見たさの気持ちと一日だけの山歩きであれば睡眠不足であっても何とか耐えられるのではないかという不遜な気持ちがでてきて参加することにした。

案の定往きの夜行バスではほとんど眠れなかったが、2日目は昼前「土合山の家」で休息後午後から往復約3時間かけて遭難者を多数出している「一の倉沢」までの散策という軽いものだったので体調としては全く問題なかった。時折小雨がぱらつく天候であったが、眼前に一の倉沢の切り立った岸壁を見るとよくもこんなところを登るもんだなという思いを強くした。山の家に戻る途中の公園に遭難者の慰霊碑が建てられ、近くの石碑に昭和6年から今年までの約千人の遭難者の名前が刻まれていた。たまたま午前中に慰霊祭があったと聞いた。

3日目の朝、山の家の車でロープウェイ乗り場まで送ってもらいロープウェイ、リフトを乗り継いで山の中腹の登山口に到着し登山を開始した。今回は大阪、長野、宮城から8人の参加者だったが、頂上を目指すのは私を含めて3人ということを聞いて「あれー」と思った。谷川岳は双耳峰で「トマノ耳」(1963m)と「オキノ耳」(1977m)の二つの頂上があり、両方に登ったのは私ともう一人だけだった。山頂から眺める眺望は素晴らしかったが、紅葉がようやく始まったばかりで全山紅葉といかなかったのは残念だった。

 今回は往復とも夜行バスだったが心配した睡眠不足の影響はほとんどなかった。これからはたまには夜行バスを利用するのもよいと思えたのも収穫の一つである。

70歳になった最初の山行が谷川岳だったのはこれから永く記憶に残るだろうと思った。